野球の基礎知識:日本における野球の歴史

日本における野球の歴史は、1871年まで遡ります。
教師として来日したホーレス・ウィルソンというアメリカ人が、現在の東京大学で教鞭をとっていた際、生徒に対し、野球を教えたことが始まりです。

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日本に野球が来たのは1871年

当時の野球の基礎知識としては、今のように野球といえばこのルールというものがなく、1871年の段階ではスナップをきかせて投げることすら認められていない状況であり、フォアボールという概念もありませんでした。

このため、打球おにごっこと称され、広まることになります。
野球の試合となるとこれから2年後、1873年に運動場ができてからということになり、大学野球の歴史もそこから始まったといえます。

日本に本格的な野球チームが誕生したのは1878年のことです。
アメリカに留学していた鉄道技師の平岡ひろしがアメリカで野球を知り、それを日本に持ち帰ってきました。

平岡ひろしはアメリカでカーブを習得したことから、日本人で初めてカーブを投げた男としても有名です。
1878年、平岡ひろしは新橋アスレチック倶楽部というチームを立ち上げ、日本初の野球場などを作り、毎年ルールブックを取り寄せ、最新の野球、基礎知識にも精通していました。

こうした背景もあり、1959年には殿堂入りを果たし、特別表彰を受けただけでなく、全日本クラブ野球選手権大会では優勝チームに平岡杯が与えられるなど、今もその名前は生き続けています。

こうした人たちが広めている時には、まだ野球という言葉にはなっていませんでした。
そのような言葉、爆発的な普及はもう少し先に訪れることになります。

野球における言葉の歴史と基礎知識

それまではベースボールと呼ばれていましたが、現在の東京大学の野球部員だった中馬庚が作り出しました。
ベースボールをどう訳すかで問題になったとき、当初は底球と訳されていましたが、テニスの日本訳の庭球とかぶっていたため、新しいものを考える必要がありました。

1894年、フィールドのボールという言葉から野球を思いつき、野原で遊ぶから野球という説明も出来上がりました。
中馬庚の基礎知識として、他にも遊撃手という言葉を作り出しています。

動き回る姿が遊軍のようだということで遊撃手と名づけられました。
この功績が評価され、中馬庚は1970年殿堂入りを果たすことになります。

野球という言葉を作り出したのは、正岡子規であるという基礎知識を持つ人は多くいますが、これは間違いであると言われています。

1896年、新聞でベースボールの訳語が見つからないと書いていることからも、正岡子規が作り出したものではないことがわかります。

この時には中馬庚がすでに思いついていることからも証明できます。
ただ、雅号として、のぼーるを漢字にした野球が使われてきたのは1890年とかなり前からであり、先に表記したのが正岡子規、先に翻訳したのが中馬庚というわかりにくい状態となっています。

しかし、正岡子規は用語を数多く翻訳しているのは紛れもない事実であることから、中馬庚の殿堂入りから遅れること32年、2002年に正岡子規も殿堂入りを果たしました。

言葉をめぐる物語もまた大変面白く、どのように訳し、どのような理由で名づけられていったかを知るのも面白いです。

最初のプロチームは巨人にあらず

日本初のプロチームは、巨人ではないかと考えている人も多くいるはずですが、実際、巨人の前身大日本東京野球倶楽部は、日本で3番目にできたチームです。

日本初のプロチームは、1920年に誕生した日本運動協会です。
それまでは、学生のチームが主体となっていましたが、アメリカからメジャーリーグのチームがやってきたこと、ベーブルースの活躍が日本にも来たことなどで、プロチームを日本でも作るべきではないかというムードが高まりました。

一方の学生チームも当時人気絶頂の時代であり、人気におぼれる選手も多くいたことから、模範になるようなプロの存在がほしいという流れになり、1920年、日本運動協会が誕生しました。

当時の本拠地だった芝浦球場は、2万人を収容する球場であり、芝浦の埋立地に作られました。
当初は大リーグ選抜に勝利するなど、輝かしい結果を残しましたが、関東大震災で被災し、倉庫などになっていったため、興行ができなくなり、解散しました。

日本運動協会のユニークなところは、結成からの1年間、試合が行われない間に英語や数学などを選手に教えていたというものです。
これは大学生の模範となるために、同等の学力がなければプロとして認めてもらえないという理由によるものでした。

これを指揮したのが河野安通志で、1905年には日本で初めてアメリカ遠征を経験し、現地で鉄人河野と呼ばれる活躍を見せ、日本で初めてワインドアップ投法などを習得しました。

河野安通志は1960年に殿堂入りを果たし、河野安通志が持っていた多くの蔵書は寄贈され、太平洋戦争以前の本のほとんどは河野安通志のものと言われています。

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