新潟県長岡市は、東京から上越新幹線で約1時間半、車では関越自動車道で約三時間。いずれも関東平野を縦断し「トンネルをくぐれば雪国」で有名な新潟県に足を踏み入れます。
白い雪国のイメージが強い新潟県ですが、夏は全く違う、緑あふれるアクティブな世界が広がります。
今年はどこ行く!?おススメの花火大会
長岡は大花火大会だけじゃない!山あり海あり、遊び尽くそう
長岡まつり大花火大会は、日本の三大花火大会の一つに数えられています。
新潟県人は冬の積雪に耐え、寒さに耐えて春の芽吹きを迎えると、一日も早く雪を消そうと外に出て土を耕します。冬に押さえていたエネルギーを使い果たすように、再び雪が降るまで、県内各地でたくさんの花火を打ち上げます。
中でも一番の規模である長岡まつり大花火大会は、毎年8月2日・3日に開催されます。8月の夏休みまっただ中、海も山も遊ぶにはいちばんの季節です。
長岡市内や隣接する場所には、キャンプ場や海水浴場があり、自然の中でアウトドアも楽しめます。
花火大会を楽しむだけでなく、山や海に小さな旅をすると、美味しい食や効能豊かな温泉に出くわしたりして、驚くほど豊かな雪国の夏を楽しめます。
温泉は、近くでは越後川口温泉、寺宝温泉は源泉かけ流しの温泉で、通い詰める人も多い温泉です。いずれも宿泊可能です。海の寺泊、出雲崎、石地、柏崎も近く、和島には海岸至近のオートキャンプ場もあります。
海の幸、山の幸に恵まれ、寺泊の魚市場で、地物の魚を仕入れてバーベキューも最高です。おいしい米は、道の駅でも手に入りますし、新鮮な野菜は道の駅だけでなく、夏にだけ開かれる生産者直売所でも手に入ります。
自ら作る旅と、越後の豊かな食の発見で、自分だけの旅が楽しめます。
おまけに、スーパーマーケットにも行ってみましょう。長岡の郷土の食材や、総菜が並んでいることでしょう。
それらを味わうことで、長岡を知るのも一興です。
長岡まつり大花火大会は何が違うのか
長岡まつり大花火大会は、他と何が違うのでしょう。
ポイントは、その始まりの物語と中越地震にあります。長岡まつり大花火大会は当初、戦没者の魂を慰めるために始まりました。その証に、長岡まつり大花火大会ではその冒頭、白菊と呼ばれるシンプルで大きな花火が三発上がります。
何故、長岡まつり大花火大会で、これ以上の色はないという白い花火が大切に慈しむように一発ずつ上がるのでしょう。
それは二次世界大戦の時、長岡が空襲ですべてを焼かれてしまったことと、関係があります。
焼夷弾の海を逃げまどい、ある者は川に飛び込み、ある者は火に囲まれて、たくさんの市民が亡くなったのです。
長岡が焼かれたのは一説には、長岡が山本五十六の生誕し、育った街であったからだと言われます。また、大きな軍需産業の工場があったからだとも。
戦後復興によって、ここまでの都市になりました。長岡まつり大花火大会は、そんな戦後まもなく犠牲者の魂を慰め、恒久の平和を祈念するために打ち上げられるようになりました。
しかしながら昨今のように、規模を競うようなものではなく、シンプルなものでした。高度経済成長期を経て企業の協賛、市民の協力を得て次第にその規模を大きくしていきます。
実はその根底には、長岡には腕利きの花火師がいたことも大きな要因でした。それは、かの有名な三尺玉に結実します。
最初は、三尺玉が上がることだけでも話題でしたが、今では、二日間にわたり三尺玉花火を複数打ち上げるのが恒例です。こうして大型花火全盛の時代を迎え、バブル期には長岡でも超大型花火が次々に上がるようになりました。
日本国中、たくさんの豪華な花火大会も名乗りをあげました。
長岡まつり大花火大会は、テーマ性のある花火で物語を紡いる
現在も継続している花火大会の中で、長岡まつり大花火大会が特筆されるポイントは、「フェニックス」という超大型、テーマ性のある花火を送り出したことです。
十数年前に起こった中越地震で、大きな痛手を負った長岡とその周辺部でしたが、逆にそれをバネにして「フェニックス」を、市民や協賛企業が復興の象徴として打ち上げました。
平原綾香さんのジュピターの曲に合わせて、数分間にわたり息もつかせず打ち上げられる花火には、不死鳥フェニックスが現れます。市民は中越地震を振り返り、復興と未来に思いを馳せます。
「フェニックス」が、中越地震からの復興の精神を語るものならば、「この空の花」は「この空の花 長岡花火物語」という戦争と空襲に始まる長岡花火の精神を、映画化したものをテーマにしています。
世界中の爆弾を美しい花火にという、平和を祈念する大林宣彦監督、松雪泰子主演の映画です。
美しく、色彩豊かで可愛らしさが漂う花火です。
そしてもう一つが「天地人」です。上杉藩の武将直江兼続をモデルにした、大河ドラマをイメージして打ち上げられた、日本屈指のミュージックスターマインです。
このように、超大型で目玉になるものをいくつかご紹介しましたが、長岡まつり大花火大会は、長岡という土地の歴史、戦争の痛みや恒久平和への願いをこめています。
単に大型化や豪華さ、目新しさを追求するのではありません。中越地震を経験していることから、東日本大震災の後には被災地石巻市「フェニックス」を打ち上げて復興を励ましました。
また、長岡市は山本五十六の出身地であり、戦争との因縁が深いことから、真珠湾攻撃の開戦の日に長岡で白菊を打ち上げ、敗戦の日にハワイで白菊を打ち上げます。
アメリカ合衆国との交流も、これらのことがらから深く、花火を通して友好関係を築いています。
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