プロ野球・不滅の記録は?|シーズン最多勝利数

記録というのは、破られるためにあるといいますが、実際には破ることが不可能な、アンタッチャブルレコードというのも存在します。

どのようなスポーツでも同じことですが、黎明期の頃には、実力差が大きくなるだけに、突出した選手が出やすくなります。

野球で言うのであれば、平均時速が130キロ以下の時代に、ただ一人だけ150キロ近い速度を投げることができるのであれば、それは大きな武器になり、それだけで相手を抑えることも難しくありません。

しかし、スポーツとして習熟をしてくると、全体のレベルが上昇することになるので、多くの投手が145キロ近いスピードボールを投げることができる時代では、150キロを出すことができても、それだけで大きな武器になるというわけではありません。

そのため、時代が進めば進むほどに、黎明期に残された記録の更新というのは、難しいものとなり、ヴィクトル・スタルヒンと稲尾和久が残したシーズン最多勝利数は、まず破られない記録といえます。

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プロ野球!不滅の記録

シーズン最多勝利数は破られることのない記録

近年は、20勝をするだけでも大偉業とされますし、そもそも年間の登板数自体が、先発で40試合以上投げるということがないため、近代のプロ野球では普通にやっていては、更新が不可能な記録だといえます。

理屈としては、記録を破るために一人の投手に勝利投手の権利を得ることができる場面のみ投入をしていくということをすれば、更新は不可能とは言えませんが、記録を破るためだけに投手をつぎ込むというは、現実的にありえないことですから、それを考えれば、やはりプロ野球史上シーズン最多勝数は、不滅の大記録ということになります。

プロ野球黎明期の大投手ヴィクトル・スタルヒン

プロ野球で、シーズン最多勝利数を持っている投手の一人が、ヴィクトル・スタルヒンであり、1939年に42勝を挙げました。

スタルヒンは、ロシア帝国で生まれ北海道で育ったプロ野球選手であり、1936年にプロ野球の世界に身を投じる事になりました。

入団当初から、その豪速球に関しては注目を集めていましたが、その頃はまだコントロールが悪く、気性の荒い当時の周囲の選手たちからは、毎日どやされていて、繊細なスタルヒンは精神的に追い詰められてしまったほどです。

それでも監督の激励があり、必死でコントロールを磨いた結果、2年目からは早くもチームの主力投手となることになり、シーズンを通して28勝をあげることになりました。

この頃は、春秋制となっていて、春に13勝を挙げ、秋は15勝をあげ、早くも秋の最多勝投手となり、タイトルを獲得することになったのです。

それから、連続で最多勝投手となったわけですが、1939年にはプロ野球が通年開催されることになり、そこで不滅の42勝という記録を打ち立てることになったのです。

この記録は、1961年に稲尾和久に並ばれるまで、シーズン最多勝利数の単独記録となっていました。

ところが、この記録は一時期42勝ではなく、40勝として扱われていた時代があります。

それでは、なぜ勝ち星が増えたり減ったりしてしまうのかというと、当時の記録の付け方というのは、現代のようにはっきり定まったものではなく、現代の基準としてみれば、勝利投手にふさわしくない場面でも勝利がついた場面がありました。

そのため、後になって一度はその勝利を訂正したのですが、更にその後になって当時の記録を尊重すべきという声が出て、再度42勝が公式記録となったのです。

神様仏様稲尾様と呼ばれた伝説的投手

シーズン最多勝利数記録の保持者は、一人だけでなく、もう一人西鉄ライオンズの稲尾和久がいます。

稲尾は、「神様仏様稲尾様」と呼ばれたほどに投げまくり、西鉄ライオンズの黄金期の大きな柱として活躍をした選手です。

しかし、異常なまでの登板数は、稲尾の肩を破壊することになってしまい、入団から8年で稲尾の選手生命は、ほぼ終了をしてしまった形になります。

その稲尾が、42勝を挙げたのが1961年のことであり、この年の稲尾は、開幕から絶好調でありキャリアの中でも、最も充実をした年となっていました。

稲尾自身が、目の前にマス目のような標的が見えるような感じになっていたと言い、ホームベースを見ていなくても、ここでボールを放せば、このような軌道でボールが飛んで行くということが、ミリ単位で感じられるシーズンだったと後年語っています。

元々コントロールに優れた選手でしたが、このシーズンに関しては、マス目のエピソードからもわかるように、そのコントロールは今まで以上に冴え渡り、勝ち星を積み重ねていくことになりました。

そして、スタルヒンの持つシーズン最多勝利数40勝と並び、あと1勝で新記録ということになったのです。

ここでおかしいと感じる人もいるかもしれませんが、当時はスタルヒンの記録は42勝から40勝に訂正をされていた時代であり、皮肉にも稲尾の新記録によって、再度訂正をされることになったのです。

41勝を挙げ、新記録を達成したと思った稲尾は、その後勝ちにこだわることがなくなったことで、1勝を積み上げ最終的には42勝となりました。

ところがその後スタルヒンの記録が議論になり、訂正をされることになり、二人は並んでシーズン最多勝利数の記録保持者となったのです。

稲尾は、スタルヒンの記録が42勝とわかっていれば、無理にでも新記録を狙ったと語っています。

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